「お兄様は、泣かないんですね」  末の妹の一言に、一番年嵩の兄はぱちりと瞬きをした。 「……そう、か?」 「はい。私は、お兄様が泣いてるところを見たことがありません」  お兄様は、泣かないんですか。幼子の他愛ない問いに、春はうーん、と首を傾げた。別に泣かない訳ではない。ないのだ、が。 「……亜梨子」 「はい」 「亜梨子は、我慢を美徳だと思うか」 「……がまん、ですか」  質問に質問で返されたことに怒りもせず、亜梨子は考え込むように視線を彷徨わせる。 「……いいことだと思います。あまりわがままを言っては、他の人に迷惑がかかると思いますし」  亜梨子の回答に春はふ、と目を細める。亜梨子は、なんや、大人やなあ、と言う彼に、亜梨子は首を傾げた。何故だかひどく大人びて育ってしまった、まだ少女にも満たないこの聡いこどもは、同じ年頃の子供たちがそんな風に考えないことを知らない。春はそれを、少しだけさみしく思った。そう思ったのは、春自身もそうだったからかもしれない。 「でも亜梨子、何ごとにも限度ってもんがあってな。我慢せんでもええところでまで我慢するこたないねん」 「……がまんしなくても、いいところ」 「そう」  にこり、と春はやわらかく、けれどどこかさみしそうに笑った。 「たとえば、悲しい話を読んだり聞いたりしたとき。大切な人が、好きな人が、死んだとき。そういうときは、我慢せんで泣いたらええんよ。そういう我慢は、覚えんでええ」 「……はい」  頷いた亜梨子は、それと同時にふと沸いた疑問を口にした。 「お兄様」 「ん」 「お兄様は、お母様のことが、大事でしたか」  春は、ただひとり彼らの母と血の繋がりがない男は、静かに目を伏せた。 「……大事やった。すごく」 「…………そう、ですか」

(お兄様、お母様が死んだとき、泣かなかったあなたは、そのがまんを、覚えてしまったんですか)